ダンヌンツィオは思想・手法の両面においてイタリア・ファシズムの先駆であったとしばしば見做される。彼自身の政治信条は、デ・アンブリスと共同で起草したそのフィウーメ憲法によく現れている。この憲法では協調組合主義による国家観がとられており、それらは労働者、雇用者および自営業者・専門家をそれぞれ代表する9つの組合、および(ダンヌンツィオの創始した)「優越した人間」(英雄、詩人、預言者、超人たち)を代表する第10の組合からなるとした。またこの憲法では音楽を国家の最高原理であると規定していた。
ムッソリーニがダンヌンツィオから模倣し習得したのは、その独裁政治の手法、つまり、協調組合主義による経済政策、大規模で感情に訴える大衆行事、ローマ帝国時代を真似た敬礼、聴衆に対する誇張に満ちた質問の問いかけ、黒シャツ隊による反対者への脅迫・暴力的弾圧など、である。
ダンヌンツィオはイタリアの拡張主義的外交政策を支持しており、エチオピア侵攻を賞賛していた。
ダンヌンツィオはまた、政治的反対者を拘束して多量のひまし油を飲ませることで衰弱させ、場合によっては死に至らしめるという拷問の創始者であるとも言われている。この方法はムッソリーニの黒シャツ隊の常套手段となる。
ボフエシュバル ビジネスジャンプ総合
花きゃべつおしゃれな雑貨COM
ニューエイト健康・医学コラムサーチ
ディーハウス通販百貨COM
パソコン教室・セミナー関連教育対策紹介
キャンプ場・ホテル関連バカンスネット
ジュレップ美容・エステリンクサイト
アミノ おまかせビジネス紹介
ギエロンライフスタイルポータル情報
ゴールデンアイ健康・医学倶楽部総合
ダンヌンツィオの文学は盛名期において、その高い独創性、力強さおよびデカダンスが高く評価されていたし、同時代の全ヨーロッパ文壇、また後世のイタリア作家たちに多大の影響を与えたのだが、その19世紀末における作品群は現在では忘れ去られつつある感があるし、また文学上の名声は、彼のファシストとしての政治活動の前に常に曇らされる運命にあった。
彼は多作であった。代表的な小説としてはIl Piacere(快楽の子、1889年)、Il Trionfo della Morte(死の勝利、1894年)、Le Vergine delle Rocce(巌の処女、1896年)がある。また早くから映画にも関心を示した彼は、第二次ポエニ戦争に題材をとった無声映画Cabiria(カビリア、1914年)のシナリオを作成している。
彼の著作はフランス象徴派文学の強い影響を受けており、激しい暴力や異常な心理状態の描写が、壮麗な空想場面によって彩られていることを特徴とする。小説における代表作品の一つで、発表時に大きな話題を呼んだIl Fuoco(炎、1900年)では、彼は自分自身をニーチェ的超人Stelio Effrenaとして描き、女優エレオノーラ・ドゥーゼとの虚実取り混ぜた愛情関係を記している。また彼の短編にはモーパッサンの影響もみられる。
彼の小説の心理的インスピレーションは、フランス、ロシア、北欧諸国あるいはドイツなど様々の文学にその出発点を得ており、特に初期の作品にあっては独創性には乏しい。その創作力は深く鋭いが、常に狭く個人的であった。例えば彼の描く主人公はいつでも同じタイプの人物であり、それが人生のそれぞれの段階でそれぞれの問題に直面した、というに過ぎない。しかし彼の欠陥のない文体、語彙力の豊富さに比肩しうる同時代の作家は存在しなかった。後期の作品では、ダンヌンツィオはイタリアの昔日の栄光の歳月にその題材を求めることが多くなる。
ダンヌンツィオの生涯と作品はIl Vittoriale degli Italianiと名付けられた博物館に記念されている。この博物館自体、彼が構想し1923年からその死に至るまで発展させたものであり、ガルダ湖の南西、ガルドーネ・リヴィエーラにある彼のヴィラに隣接している。現在では同博物館は軍事博物館、図書館、文学・歴史のアーカイヴ、劇場そして霊廟の複合体になっており、また、ダンヌンツィオがウィーン飛行作戦に用いたSVA-5機および魚雷艇MAS96も保存している。
同時代のイタリアの作曲家たちもまた、ダンヌンツィオの詩才に魅了された。トスティ、レスピーギはじめ、有名、無名あわせて50人以上が彼の詩に曲付けしたという。中でもトスティは、この若き詩人をまだ高等専門学校在学中の1880年から寵愛し、詩への作曲は1916年のトスティの死に至るまで続いた。
三島由紀夫が生田長江訳の『死の勝利』を下敷きに『岬にての物語』(1946年)を書いたことは夙に知られている[1]。三島は池田弘太郎と共に『聖セバスチァンの殉教』を邦訳した。(現在は国書刊行会・クラテール叢書)これら作品上の関係のみにとどまらず、楯の会の制服や行動にダンヌンツィオの影響を見る者は数多い。特に、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地のバルコニーから三島がおこなったアジ演説は、フィウーメ占拠時のダンヌンツィオが取った行動の拙劣な模倣であるとたびたび指摘されている[1]。1989年に筒井康隆が書いた『ダンヌンツィオに夢中』(中公文庫)は、これらの指摘に基づいている。